コラム
2020.01.06

孤独な育児から救ってくれた旦那さん

 18年前、結婚を機に宮崎県から島根県へ移住してきた。(移住とあえて言ってみる)

 正直最初はゆううつだった。旦那さん以外誰も知らない島根。旦那さんの家族以外誰も知らない。喋り言葉がちょいちょいわからない。文化風習の当たり前が違う。当たり前が違って否定されるたびに、だんだんと人付き合いも嫌になり始めた。

 季節が冬に移る頃、いよいよ私の精神的な不安も深くなり始め、そんな頃に妊娠発覚。さらに、暗くどんよりと冬が深まるとともに私の気持ちもどんどん落ちていった。

 色々な事情で帰省しなかった私は、出産後も一人。旦那さんとその家族以外に知る人もなく、産後が始まり育児が始まった。今でも、その頃のことを思い出すと暗い気持ちになる。あれから18年。私は自由に島根で楽しく生きているわけだけれど、旦那さんと旦那さんの職場の皆さんのおかげだと思う。

 旦那さんはちょうど忙しく出産の前後は出張が入っていた。正直産後の私なんかに構ってられないほどだったはず。

 しかし、職場の上司を始め同僚の皆さんが「奥さんが心配だから、早く仕事を切り上げて帰るように」といってくださり、その言葉をバカ素直に受け止めてほぼ定時で帰ってくれたり出張を変わってくれたりした。家事も何もできてないボサボサでボロボロの私に、帰ってくるといつも「頑張ったね」といってくれていた。あぁ、思い出しても涙。

 しかし、この旦那さんはとにかく家事は何もできない。仕方ない、それはそれでいいの。家事のできる旦那さんがもてはやされている時代に、多分うちの旦那さんは相当時代遅れの旦那さんであろう。

 でも、私は、家事なんかどうでもよかった。とにかく、子どもとずっと二人きりのこの状況から解放してくれる旦那さんの存在がありがたくて仕方がなかった。何もしてくれなくてもいい(いや実はしてくれている。仕事をしてくれている。)帰ってきて真っ先に「よく頑張ったね」といってくれ、そして、息子を抱っこしてくれるそれだけで私は嬉しかったしホッとした。安心した。

 私が家事をしたりダラダラしたりするその間に、息子を抱っこしたりミルクをあげてくれて(私は母乳にこだわらずに混合にしました)オムツ変えてくれ…とかわいがる姿を見るだけでよかった。私以外の信頼できる誰かが、子どもを見てくれているということに安心した。

 あの頃の私、孤独だったんだと思う。そんなことは今では嘘のようだけれど。ただでさえ外に出られず孤独感をただただ募らせる産後に、旦那さんの存在はとても精神的に大きい。

 もし、あの頃に、職場の理解がなく、旦那さんの思いやりがなかったら今の私はないなぁとたまにふと思い出すのです。 

ライター

しあわせなおかあさん塾 主宰 青山節美

プロフィール

1971年生まれ。宮崎県出身。松江市在住
2010年~ 学び舎aoyama+を設立
2011年  島根県親学ファシリテーター取得
2013年~2018年 島根県立東部社会教育研修センター勤務
2016年~ HUGでつながる 地域でつながる活動開始
(HUG=避難所運営ゲーム)
2017年~ しあわせなおかあさん塾開始
2018年~ 島根県総合教育審議会委員就任
2019年~ 島根県子育て応援講師(こっころ講師)登録
2019年8月25日付 山陰中央新報社「りびえ~る」「こんなとき子どもにどう声かける?教えて!青山せんせい!」掲載


学習塾のかたわら、島根県教育委員会で5年間働き、親学ファシリテーターとして島根県内で子育てに関するワークショップを開催。 その後、母cafe・子育てcafeとお母さんたちが自由に話をする場を作り、約4000人以上のお母さんたちに出会い、参加者からの“子育てのコツを教えてほしい”という声に応え、“子どものやる気スイッチ押し方講座”を始める。

さらに継続して学びたいという声が上がり、自身の子育て経験もふまえて、「親が変われば子どもの未来は変わる」を理念に、2018年【未来へつながる しあわせなおかあさん塾】をスタート。

『2歳のお誕生日会』・『小学校入学までにできるようになっておきたい10のこと』・『10歳~18歳のミニ大人のトリセツ講座』など、発達心理学や脳科学の視点を用いた各種講座を全国で開催、これまでに200人以上が講座参加、70人の本講座受講生が学んでいる。

参加者の多くが「もっと早く話を聴きたかった」「無駄に怒ることが減った」「子どもの困った行動を理解することができた」など、自身の考え方の変化と子どもの自己肯定感アップを実感している。

「未来を担う子どもたちのために、少しでも希望のもてる、そういう世界を残したい。そういう未来を創る子どもたちに育てたい」との思いで活動している。

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