コラム
2023.11.21

[1] 生まれなかった命

「生まれること」って

簡単なようで難しい。 

小さい頃の私は「子どもは3人ほしい!」と、
望めば当たり前に子どもはできるものだと思ってた。

それが、間違っていることに気づいたのは結婚してからすぐのことだった。

当時の私は、生放送の情報番組のメインMCを担当させていただいていた。

結婚後は、子どもが欲しいことは番組に伝え、
楽しく生放送や、取材に向かう日々を過ごしていた。

年末に、(もしかして…!?)と、妊娠検査薬で調べると、「陽性」。

(これって、子供ができたってこと?!)
(なんか少しお腹痛いな、違和感があるな…、妊娠ってこんな感じなんだ…)

と、年明けに、夫婦で産婦人科に行き、診察をしてもらうと、
ピコピコと動いている様子が見えた。

(うわぁ、可愛い…!なんか動いてる…!)と夫と顔を合わせる。

先生から、

「おめでとうございます!」

と言われるとばかり思っていたのだが、

思ってもみなかった先生の沈黙に、

(……え…?)と気持ちが焦った。

先生の口から出たのは、

「………これは、残念だけど」

の言葉。

「……え?!でも動いてますよね?!」

「…これは残念だけど、だめだと思う」

「でも、まだ可能性は0ではないですよね?」

「……ここ、出血もしてるからね」

先生は優しくも冷静に事実を伝えてくれた。

放心状態で病室を出た私たち夫婦。

「まだわからないよね、私たちは信じてあげよう」

と無理やりポジティブな会話を交わす。

この腹痛は、妊娠が原因の腹痛ではなかったんだ…。

生放送をしばらくお休みさせていただくことを番組に伝え、

その後、大事に大事に二週間を過ごし、
お腹の子の無事をたくさんたくさん祈った。願った。

次の受診(妊娠10週)で、胎児の心拍を確認することができた。

私は、(ほら…大丈夫だった…!)と思ったけど、
先生の顔色は変わらなかった。

それからまた二週間、家で安静に過ごした。
長い1ヶ月だった。

その後、妊娠12週での受診では、
胎児は、もう動いていなかった。

奇跡は、起こらなかった。願いは叶わなかった。

その時の気持ちは、言葉では言い表せない。

頭がついていかないままに、手術をすることに決まったが、
その前に自然流産で病院に運ばれた。

流産は信じられないくらい、
苦しくて、悔しくて、虚しくて、痛かった。

お仕事の面では、1ヶ月休んでいた担当番組をさらにお休みすることになり、

ご迷惑をかけた放送局の皆さんや、先輩方に、
さりげなく優しいお気遣いをいただき、差し入れをいただいたりもした。

本当に涙が出そうになるほど、嬉しかった。

人生にはこれほどにも大きな痛みがあるんだ、ということと同時に、
人の温かさと、たくさんの人に支えられて今自分が生きていることを実感した出来事だった。

多くの場合は、これを夫婦だけで隠していて、
外では、なんでもない顔を過ごしているのが現実だと思う。

その証拠に、こんなにおっぴろげに生きている私でも、
このことをオープンにするまでに5年もかかっている。

「生まれること」って

簡単なようで難しい。 

今、生きてる私たちって
奇跡的に「生まれた」特別な人。

そう思うと、自分に、優しくなれる。

今、近くにいるあの人ももしかしたら、
苦しい経験をしている最中かもしれない。

そう思うと、人に、優しくなれる。

「生まれる」ってすごい。

「生まれてきた」ってすごい。

ライター
阿部 樹里
阿部 樹里

講演家・エッセイスト。一児の母。

1989年9月23日、島根県出雲市生まれ。共働きの両親の元で三姉妹の次女として育つ。
中学1年の時に不登校になりながらも、モデル活動をスタート。
24歳からBSS山陰放送の番組にレギュラー出演。テレビやラジオなどのCM・広告など13本に起用。

現在、育児や不登校時代の体験を講演やコラムにて発信している。

「共感して涙がでました」
「不登校児の父として勉強になりました」
など親子それぞれの立場から評価を得ている。

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