さがしものの在処
久々にこのコラムの執筆依頼をいただいた時、「え、もうこれ以上書くことないぞ…」と思ったくらい、数年前からこのキャンペーンでは我が家族の生活、働き方、子育て、縄文人への熱き想いなどについて、たくさん綴ってきた。特に夫の家事育児参画については、「これ以上褒めちぎれませんって…。」と担当者さんにお伝えした。
しかし。考えてみると最後のコラムから3年が経ち、私と家族の在り方には大きな変化があったのだった。「あ、書けますね。」と思い直し、お引き受けした。
3年というこの期間は、きっとこれを読んでいる皆さんの暮らしにも小さくない変化があったことだろう。パンデミックを経験し、それまでの当たり前は非常識となり、一応そのトンネルを抜けたとも言われる今、価値観や生き方が全く変わってしまったという話もあちこちで聞く。そして“豊かさとは何か”について、私たち家族でも考えたのだった。
この3年での私を取り巻く大きな変化といえば、コロナ禍真っ只中で第二子となる次男を出産したこと。妊娠中に自宅に録音ブースをDIYし、訓練を積んでナレーターとして海外にも進出したこと。私の興味が縄文時代から民俗学や文化人類学にも広がって、周りで聞かされる人たちにとって少しだけ話が身近になったに違いないことなどだろうか。
そのすべての段階で、夫は家事にも育児にも大活躍し、今も進化を続けている。こないだ作った餃子も絶品だった。私の新しい挑戦や学びについては特にサポートしてくれ、「会うべき人には会って来い」と、泊まりで出かけることも勧めて家事育児を担ってくれる。以前のコラムで私が丁寧にその成長を綴っていた長男も今年小学生になり、弟をとても可愛がっている姿を見てぐっとくるものを感じている。お手伝いもしてくれるので、家事育児を担う男性が我が家に一人増えたことになる。二人目からの育児は雑になるというのはよく聞くことだが、次男はあっという間に2歳になった(←)。この人は手がかかる時期ではあるが、毎日家族に笑顔をもたらすという役割を大いに果たしている。控えめに言って信じられないくらい可愛い。
男性の家事育児への参画がどんどん普通のことになってきた。息子のお友達の親たちを見ても、パパもママも普通に家事育児に協力して取り組んでいる様子が伺える。そもそも家事も育児も男女両方が担うことは一昔前まで当たり前のことだった。この国での大昔からの人々の暮らしを追ってみても、ほぼずっと、一部の裕福な家庭を除いて家族総出で働かなくては食べていけなかったのだった。女性だけが家事育児を担うことが社会に定着したのは1970年代だという。新しかったその常識も、令和5年の今はすでに古く、そして非常識になろうとしている。常識なんて、時代や場所で簡単に変わるものだ。今回のパンデミックでも経験したように。
縄文時代もそうだが、私の民俗学や文化人類学への興味は、ただ知識を蓄えてうんちくを語りたいのではなく、物事に対していつもいろんな視点を持っていたいという思いからきている。そしてそれをもとに、常に自分の価値観や常識を疑って、その外側にあるかもしれない本当に大切なものを求め続けていきたいのだ。最近もそれまでになかった視点を得た。例えば、私の中になぜだか存在する、“理想の母親像や家族像”。先日受けた文化人類学の先生のレクチャーで、古の日本人の”天“は垂直方向に見上げた先ではなく、海の向こうにあったと見ると…というお話を聞いた。
古来日本列島に住む人々は、神様が真上に見上げた先に存在するのではなく、海を渡ってなど、アクセスできる水平方向から来ると捉えていたという。その違いは、高い理想から現実を減点方式で捉えて得る”均質“か、今ある世界と自分が”共に“生きているという眼差しで行き着く”多様“か、と解釈することもできる。何が言いたいかというと、実際どこに存在するのかも知らない”理想の母親・家族“と比べて今の私たちに足りないものを探すよりも、今ある私たちの形を見つめ、私たちなりの家族の形を探っていくのがいいのではないかと、その話を自分の生き方に落とし込んでみた、ということである。
それぞれの家族がいろんなあり方を形成してコミュニティを作っていく。一つの絶対的な神というより山や木や滝や石にも神様を見出してその土地の気候風土にあった暮らしをしてきた日本列島の人々に思いを馳せて、そんなことを考えてみている今日この頃だ。AIが急速に発展して、答えはすぐにでる世の中になってきた。私は人として自分の常識の外側に問いを求め続けることで人間として生きる実感を得ていたいのかもしれない。
男性の家事育児参画の話となると、つい具体的にどの家事は誰がして…などと理想をその中に探し過ぎてしまうかもしれない。そして相手に色々求めすぎることにもなりかねない。でも、その当たり前を疑ってみて、外側にこそ求めている豊かさがあるかもしれないという認識をパートナーや家族で共有していれば、「その可能性に向けて協力できることは何だろう。」と同じ矢印の方向で自然に動き出せはしないか、と思ったりする。
自分や家族にとって何が大切か。それを感じ取っていくには、そもそも自分の中にあるセンサーを磨かなくてはならない。息子たちも、日々何を感じて、それをもとにどう考えるのか、自分の言葉にできるようにしてあげたい。そのためにいい方法を思いついてしまった。食リポだ。皆さんもテレビをつければ見かけるであろう、あれだ。たまたま私はそれを仕事にしている。食べ物の味や香り、食感などを細かく言葉にしてみるこれ、実はマインドフルネスという瞑想の方法の中にある、レーズンエクササイズというワークとほぼ同じものだ。一粒のレーズンをじっくり時間をかけて味わう。美味しいか美味しくないかは一旦置いておいて、一つ一つの気づきを言葉にしていくことから始めていく。それを食べ物以外に広げ、ゆくゆくはそれが自分の思いや周囲の人への想像力などにつなげていけばいいのではという具合だ。
豊かな未来への議論が生まれ、より多様で平和な世界の元になるのは、そんなレベルの営みなのではないかと思う。豊かさは、一番身近なその手元、口元から広がりを見せるものかもしれない。
鳥取県若桜町出身。特殊メイク・特殊造形を学ぶため高校卒業後に渡米。The Art Institute of Pittsburghで学士号を取得後、ピッツバーグを拠点に映画、舞台、ハロウィンなどの現場で経験を積む。帰国後、日本海テレビの情報番組「スパイス!!」でリポーターとして起用されたのをきっかけにタレントのキャリアをスタート。
現在はメインMCを務める「スパイス!!」をはじめ、CMや各種動画、イベントなどに出演しつつ、日英バイリンガルナレーターとして国内外に声を届けている。今年はアメリカのVoice Arts Awards 2023にノミネートされるなど活動の場をローカルにもグローバルにも広げている。
2014年に結婚、2017年と2020年に男の子を出産。目下の興味は、民俗学、文化人類学、縄文時代などを通してみる人間の普遍的な思考や信仰。畑は4年目。最新のDIYは二人目をお腹に抱えて作った自宅録音ブース。